綾辻行人「びっくり館の殺人」

びっくり館の殺人 (講談社文庫)
綾辻 行人
講談社 (2010-08-12)
売り上げランキング: 57062

これ、どう読んでも子供向けじゃないぞ。あえてターゲットを設定するなら、頭のおかしな中高生だろう。たしかに時限爆弾としての性格はあって、これがいつか爆発したら面白い。すでに元ネタを知っていても、そのことを楽しめた。読みやすい文章のおかげで二時間半で読了。体力があったら二時間を切れたかも。ただミステリとしては凡作だった。
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道尾秀介「ラットマン」

ラットマン (光文社文庫)
道尾 秀介
光文社 (2010-07-08)
売り上げランキング: 27165

三度にわたるどんでん返し。しかし衝撃は弱かった。というのは、私がもっと突飛な想像をしながら読んでいたからだ。姫川と父の血がつながっていないことを知ったときから、小野木家との相似性を根拠に類推すると、桂と父親の血も繋がっていなかったのではないかと考えられた。そして人間関係をパズルのように当てはめていくと、姫川と桂は兄妹であるという可能性が見えた。論理的には飛躍しすぎで何の根拠もないが、事件そのものに不可能趣味がないだけに、私にとっては誰がやったかはさして重要ではなく、それゆえに別の観点からの衝撃を期待したのだった。作者のミスリードに上手く乗せられ、勝手に飛んでいっただけなのだが、素直にだまされていれば、もっと驚くことができただろう。このようにくだらない先読みをするあたりがミステリ読者の致命的な欠点であり、読めば読むほどつまらなくなっていく道理である。騙りの手段はアクロイド的。当然捻りは加えてあるが。書くべきことを書かないことで事実を隠蔽する。しかしすべてのミステリは多かれ少なかれ同様の手段を用いらなければ謎を設定できない。ミステリとは謎だ。謎がなければミステリじゃない。フェアとアンフェアの境界線は、論理的に結論付けるための証拠が不足なく描写されているか否かである。そこで考慮しなければならないのは視点の位置である。物語の中なのか、作者の頭の中なのか、現実世界、つまり読者の脳内なのか、ということである。メタさの度合いと言い換えてもよい。一般にフェアかアンフェアかの判断は、読者が自分を物語内に登場する探偵だったと想定した際に、自分の知りえた情報によって論理的に犯人を指摘できるかどうかで分かれる。しかし実際に小説を読む場合、そこまで作品にのめりこむことはまれである。直接的に無関係な情報が邪魔をするのだ。この展開はあの小説と似ているぞとか、ここでこう書いてあるからにはこいつは絶対犯人じゃないとか、この作者がこんな簡単に終わらせるはずがないとか、要するにメタな視座で考えてしまい、結果として楽しめない。初めてシャーロック・ホームズを読んだときは面白かった。不可解な謎が解明される知的興奮を味わうことができた。「GOTH」を読んだときは背筋が震えた。文章から自分が想像していた世界が一瞬で崩壊し、新たに再構成されるカタルシスを味わうことができた。「占星術殺人事件」を読んだときには頭を殴られたような気がした。針と糸じゃなくて、心理的でもなく、字面でもない、こんなトリックがあったことにただただ衝撃を受けた。おそらく、この辺りが原体験であり、他のすべてはこれらの二番煎じ三番煎じ……詰まる所、出がらしに過ぎない。だから面白くないのだ。だから森博嗣は面白いのだ。ミステリ部分は物語の中心にあったとしても所詮はおまけであり、本来はあったら嬉しい程度のものだが、実際にないと過剰に落胆してしまう。しかしなくても十分に楽しめる。くだらないことを書きすぎた。この辺で終わりにしよう。

ジョセフィン・テイ「時の娘」

時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)
ジョセフィン・テイ
早川書房
売り上げランキング: 29485

またしても翻訳文の魔力。外国語や古文のように日本語として読めないわけではないのだが、内容を理解できないという点では同じである。それに加えてこの作品はイギリスの歴史上の謎を扱っているので、リチャードとかエドワードとか同じ名前が何回も出てきて、しかもそれが同じ人物だとは限らず、系譜が書いてあってもなおややこしすぎる。形式的にも、本格推理というよりは間の抜けたサスペンスといった印象で、リチャードの汚名を返上し名誉を挽回したいのに、リチャードは四百年も前に死んでいて、結局自己満足のための証拠探しに終始している感が否めない。もっとこう、最初にすべての材料が示されて、そこから論理的にアクロバティックな結論が導き出されるようなものを期待していただけに肩透かしを食らった気分だ。新訳で読めていたら印象は違ったかもしれない。

佐藤友哉「クリスマス・テロル」

クリスマス・テロル<invisible×inventor> (講談社文庫)
佐藤 友哉
講談社
売り上げランキング: 222699

相変わらずだが、なんだか面白くない。
賛否両論なのはわかる。「姑獲鳥の夏」そのままの密室トリック。しかも完全に劣化していて、まったく説得力がない。地の文に作者が出張ってきたり、終章の最後っ屁だったりといったメタな感じは好きだが、面白くないのだからどうしようもない。
こういうややこしいテーマを書くのだから確かに純文学向きなのだろう。
なぜ面白くないのか考えてみたが、たぶん答えは中途半端だからだ。主に文体に関してだが、同じ方向の舞城ほどにはぶっ飛んでない。つまり、世界観が現実と地続きになっているので、常識に照らすと、尽く登場人物に共感できないのだ。だからこういう路線でマイルドさは必要ないと思う。まして読者に挑戦するのならもっと過激な方がいいだろう。「鏡家サーガ」に関しては明らかに狂っていたから、そこが面白かったのだろう。“見る”と“見られる”の逆転と聞くと「箱男」を連想したが全然違った。

米澤穂信「遠まわりする雛」

遠まわりする雛 (角川文庫)
米澤 穂信
角川書店(角川グループパブリッシング) (2010-07-24)
売り上げランキング: 43234

「やるべきことなら手短に」逆説的な論理を用いた推理によって蓋然性の高い仮説を立てていき、はじき出された答えが正しいと証明されるのだが、結果的に“探偵が犯人”ものである。
「大罪を犯す」なぜ教師が勘違いしたのかという謎は陳腐この上ないが明快に解明される。だが、そもそもの発端となった千反田がなぜ怒ったのかという謎は解き明かされていないように思える。一応の結論は、キリスト教の考え方のひとつとして、七つの大罪があるが、それらは人間であれば当然持っている感情でなんら悪いことではないと考えている千反田が、実のところ、怒ることに抵抗があり、できることなら怒りたくないと考えているにもかかわらず相手のミスを追及してしまった自分の方が悪いと思いたいがために、そのミスにもそれなりの理由があったと知ることで納得したかった、ということだ。やはり千反田が怒った理由は明らかでない。理屈がよくわからなくて三回も読んでしまった。
「正体見たり」夏休みに古典部で温泉地へ旅行。女子が目撃した幽霊の正体はなんだったのか? 答えはさもありなんというか、それしかないというか。そこへ至る推理の道筋が重要なわけで、すべての伏線を回収しつつ、最後には世の中のすべては幽霊と一緒だという結論に至る。客観的な立場から主観すると良くも悪くもだいたい誇張されて見える。
「心あたりのある者は」プロットは正に“九マイルは遠すぎる”。最初の問題提起は、いかに論理的な推理による結論であったとしても、現実の事柄を対象とする限りにおいて、絶対はありえず、その正当性は飽くまで可能性の大小に過ぎない、と正にゲーデル問題。当たるかどうかは運の問題である、と主張する奉太郎は千反田を説得するため推理ゲームを申し出る。試行錯誤の末、結論を導き出したときには二人とも当初の目的を忘れてしまっている。そして翌日、結論を補強する傍証が。九割は正しい仮定を十回重ねて得た結論が正しい確率はおよそ三分の一である、といったのは確か森博嗣ではなかったか。まあ、そういう話である。
「あきましておめでとう」すれ違いコント。
「手作りチョコレート事件」伏線に気づく気づかない以前に、前後の状況から犯人は明らか。だが動機が不明。自白の内容はなんというか、めんどくさいの一言に尽きる。そんなこと言ってたら何にもできないぞ。
「遠まわりする雛」同じモチーフの繰り返し。役者を変えただけ。ホワイダニットだから、謎の引きが弱い。謎解きのカタルシスもない。だけど面白い。この辺りがキャラ小説たる所以だろう。
全編通してみて、ミステリとしてはなかなかオーソドックスで、時にトリッキーさも交えつつ、飽きることなく楽しめた。小市民シリーズのようなカタルシスが味わえれば完璧だったのに。

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